空手道の歴史
1 空手道の起源・発展過程
空手は沖縄を発祥の地として、身にいっさいの武器を持たずに、突き、蹴り、打ちなど全身のあ らゆる部位を使って外敵から身を守る事を目的として誕生した武術である。
空手に限らず、武術は、自己や部族を守り戦い、敵を倒す目的から発達した。その闘争の手段が最も単純で本能的、いわゆる原始的手段が徒手空拳といわれるもの、すなわち素手で敵と戦う方法である。この徒手空拳法が沖縄において長い歳月の過程と生活文化の進展に伴い創意工夫されて、空手の原形にまで発達したものと考えられる。
沖縄に発祥した空手の原形は、琉球に古くから伝承された格技「手(ティー)」と中国から伝来した格技の双方の長所を取り入れて発展したものであるが、その発展過程は残された文書が乏しく正確にはわからない。いろいろな説があり、専門家が調査研究しているがいずれも真偽は定かでない。しかし、これまで多くの研究によると中国拳法の影響を強く受けたことは、ほぼ間違いないと考えてよいようである。
いずれにしても、沖縄で中国拳法の影響を受けながら発展した空手は、最初は神秘的な秘技であったが、次第に一般大衆に普及発達し、1904年頃には那覇市をはじめ沖縄各地で演武会が開催されるようになり、一般公開されるようになった。また、沖縄の中学校や師範学校なども学校体育として採用するに至った。やがて日本本土へと上陸し、空手が価値ある教育の手段であることが認められ、人間形成への「道」という意味から「空手道」と呼ばれるようになったと考えられる。
2 日本本土への上陸
1916年~1917年頃、京都武徳殿において、富名腰義珍が演武を行ったのが、空手を公式に本土に公開した最初である。この時は、琉球空手術として紹介解説された。
1921年3月6日には、皇太子が巡遊中に沖縄にお立ち寄りになった際、首里城正殿大広間において、空手演武をご覧になられた。そしてその翌年の1922年には、東京で文部省主催による第1回体育博覧会において富名腰義珍が「公相君(クーシャンクー)」の形を演武し公開した。
その後、再び上京した富名腰義珍は、講道館館長加納治五郎の要請により、講道館で門下生に「公相君」「ナイハンチ」の形や約束組手を披露し、そのまま東京に留まり空手道の指導と普及活動に入っ た。
3 空手の流派
空手は、明国と琉球との交易の歴史の中で伝来した中国拳法と沖縄古来の格技「手(ティー)」と融合されたもので、互いの長所を活かしたものであり、その発展過程における地域的中心地は、政治経済の中心で人々の往来も盛んな那覇や首里であった。それぞれの空手を「那覇手」「首里手」と地域的に分けて呼んでいた。またもう一つ「泊手」と呼ばれるものもあるが、泊手は首里手に似ているので、大別して「那覇手」と「首里手」に分類される。
那覇手では、東恩納寛量、宮城長順が代表的な人物である。首里手は、首里の士族の間から普及していったものと言われていて、琉球王の武術指南役務めた、松村宗棍、糸州安恒、泊手では、松茂良興作、本部朝基を輩出した。
この主流派以外にも、別の独自の創作を加えた多種多様の流派が、沖縄でも本土でも数多く発生した。その数は名の知られたものだけでも100は越えよう。その後、内地で最も普及発展したいわゆる四大流派といわれているのが、 「松濤館流」、「剛柔流」、「糸東流」、「和道流」である。
現在、全日本空手道連盟(JKF)はこの四大流派から形を選び、指定形と定めた。指定形以外でのJKFの認定する形は、1964年(JKF設立)以前から存在した形を言う。
空手は沖縄を発祥の地として、身にいっさいの武器を持たずに、突き、蹴り、打ちなど全身のあ らゆる部位を使って外敵から身を守る事を目的として誕生した武術である。
空手に限らず、武術は、自己や部族を守り戦い、敵を倒す目的から発達した。その闘争の手段が最も単純で本能的、いわゆる原始的手段が徒手空拳といわれるもの、すなわち素手で敵と戦う方法である。この徒手空拳法が沖縄において長い歳月の過程と生活文化の進展に伴い創意工夫されて、空手の原形にまで発達したものと考えられる。
沖縄に発祥した空手の原形は、琉球に古くから伝承された格技「手(ティー)」と中国から伝来した格技の双方の長所を取り入れて発展したものであるが、その発展過程は残された文書が乏しく正確にはわからない。いろいろな説があり、専門家が調査研究しているがいずれも真偽は定かでない。しかし、これまで多くの研究によると中国拳法の影響を強く受けたことは、ほぼ間違いないと考えてよいようである。
いずれにしても、沖縄で中国拳法の影響を受けながら発展した空手は、最初は神秘的な秘技であったが、次第に一般大衆に普及発達し、1904年頃には那覇市をはじめ沖縄各地で演武会が開催されるようになり、一般公開されるようになった。また、沖縄の中学校や師範学校なども学校体育として採用するに至った。やがて日本本土へと上陸し、空手が価値ある教育の手段であることが認められ、人間形成への「道」という意味から「空手道」と呼ばれるようになったと考えられる。
2 日本本土への上陸
1916年~1917年頃、京都武徳殿において、富名腰義珍が演武を行ったのが、空手を公式に本土に公開した最初である。この時は、琉球空手術として紹介解説された。
1921年3月6日には、皇太子が巡遊中に沖縄にお立ち寄りになった際、首里城正殿大広間において、空手演武をご覧になられた。そしてその翌年の1922年には、東京で文部省主催による第1回体育博覧会において富名腰義珍が「公相君(クーシャンクー)」の形を演武し公開した。
その後、再び上京した富名腰義珍は、講道館館長加納治五郎の要請により、講道館で門下生に「公相君」「ナイハンチ」の形や約束組手を披露し、そのまま東京に留まり空手道の指導と普及活動に入っ た。
3 空手の流派
空手は、明国と琉球との交易の歴史の中で伝来した中国拳法と沖縄古来の格技「手(ティー)」と融合されたもので、互いの長所を活かしたものであり、その発展過程における地域的中心地は、政治経済の中心で人々の往来も盛んな那覇や首里であった。それぞれの空手を「那覇手」「首里手」と地域的に分けて呼んでいた。またもう一つ「泊手」と呼ばれるものもあるが、泊手は首里手に似ているので、大別して「那覇手」と「首里手」に分類される。
那覇手では、東恩納寛量、宮城長順が代表的な人物である。首里手は、首里の士族の間から普及していったものと言われていて、琉球王の武術指南役務めた、松村宗棍、糸州安恒、泊手では、松茂良興作、本部朝基を輩出した。
この主流派以外にも、別の独自の創作を加えた多種多様の流派が、沖縄でも本土でも数多く発生した。その数は名の知られたものだけでも100は越えよう。その後、内地で最も普及発展したいわゆる四大流派といわれているのが、 「松濤館流」、「剛柔流」、「糸東流」、「和道流」である。
現在、全日本空手道連盟(JKF)はこの四大流派から形を選び、指定形と定めた。指定形以外でのJKFの認定する形は、1964年(JKF設立)以前から存在した形を言う。
四大流派の創設者
松濤館流 富名腰 義珍 (1868~1957)
1922年、首里手の先駆者。糸州安恒(1832~1916)に師事。沖縄より上京、体育博覧会に空手を紹介。柔道の加納治五郎に講道館に招かれる。
1939年、東京に道場「松濤館」を設立
剛柔流 宮城 長順 (1888~1953)
那覇手の先駆者。東恩納寛量(1853~1915)に師事。
1930年 剛柔流を創始
糸東流 摩文仁 賢和 (1889~1952)
13才で首里手の先駆者、糸州安恒に師事。20才で那覇手の先駆者、東恩納寛量に師事。
1933年、糸と東をとり「糸東流」と命名。
和道流 大塚 博紀(1889~1982)
日本柔術と琉球空手を融和。神道楊心流柔術の免許皆伝富名腰義珍に師事。
1933年、和道流を創設。
1922年、首里手の先駆者。糸州安恒(1832~1916)に師事。沖縄より上京、体育博覧会に空手を紹介。柔道の加納治五郎に講道館に招かれる。
1939年、東京に道場「松濤館」を設立
剛柔流 宮城 長順 (1888~1953)
那覇手の先駆者。東恩納寛量(1853~1915)に師事。
1930年 剛柔流を創始
糸東流 摩文仁 賢和 (1889~1952)
13才で首里手の先駆者、糸州安恒に師事。20才で那覇手の先駆者、東恩納寛量に師事。
1933年、糸と東をとり「糸東流」と命名。
和道流 大塚 博紀(1889~1982)
日本柔術と琉球空手を融和。神道楊心流柔術の免許皆伝富名腰義珍に師事。
1933年、和道流を創設。
JKF・WKF近代史
1929年 唐手から空手へ変更
1933年 大日本武徳会より、空手が武道として承認される。
1936年 大日本学生空手道連盟結成
1950年 日本学生空手道連盟結成
1957年(S32)11月 日本学生空手同連盟を全日本学生空手道連盟と改名し、第1回全日本学生空手道選手権大会を開催
1964年(S39)10月 全日本空手道連盟結成(会長…大浜信泉)
1965年 第1回日米親善試合(ロス・アンジェルス)
1965年 EKU(ヨーロッパ空手道連盟)結成(会長…デルクール)仏・英が先駆
1969年 (S44)10月 文部省より全国唯一の空手道統括団体として財団法人の認可を受ける。 (会長…笹川良一)
1968年 メキシコオリンピック時模範演武・試合
1969年 (S44)10月 第1回全日本空手道選手権大会開催(第1回審判講習会・技術講習会)
1970年 10月 世界空手道連盟(WUKO)結成、第1回世界空手道選手権大会開催(日本武道館)
1972年 日本体育協会に加盟承認 。 武道祭開催。第2回世界空手道選手権大会(仏・クーベルタン) (日・米・加・トリ…ボイコット WUKOとIAKFに分裂)
1973年 体育理論・救急法を取り入れる
1973年 第1回アジア太平洋空手道選手権大会開催
1974年 大塚博紀、山口剛玄、玉得博康、小幡功らに推薦8段(19名)
1975年 (S50) 第3回世界空手道選手権大会(米・ロングビーチ)
1977年 第4回世界空手道選手権大会(東京)形試合採用
1979年 第5回世界空手道選手権大会(スペイン・マドリッド)女子形採用
1979年 (S54) 日体協C級コーチに参加。ソ連大使館にて演武。政府要請によりソ連に遠征。
1979年 (S54) 宮崎国体に空手道競技がデモンストレーションで参加
1981年 (S56) 第6回世界空手道選手権大会 。第1回ワールドゲームス(米・サンタクララ)。第36回国民体育大会(滋賀・びわ湖国体)に正式種目となる 。
1982年 (S57) 第6回アジア太平洋空手道選手権大会開催(女子組手)(台北市)
1983年 WUKOとIAKF代表者会議
1984年 ワールドカップ(ハンガリー・プダペスト)(WUKOとIAKFの混合ルール)。海外指導者バンク
1985年 (S60) WUKOがIOCの公認団体として承認される。
1990年 (H 2) 第10回世界空手道選手権大会(メキシコ)
1992年 (H 4) 第11回世界空手道選手権大会(スペイン・グラナダ)(WKF)
1992年 第20回全日本空手道選手権大会(形試合復活)
1993年 (H 5) WUKOはIOCの世界空手道統合に関する提案に従い名称を世界空手道連盟(WKF)と変更する。
1993年 (H 5) 第1回アジア空手道選手権大会 (台北市)(AUKO)
1994年 (H 6) 第12回世界空手道選手権大会 (マレーシア・コタキナバル)
1994年 第12回アジア大会(空手道競技会:広島・安芸市)に正式種目参加
1995年 (H 7) 第2回アジア空手道選手権大会 (フィリピン・マニラ)
1996年 (H 8) 第13回世界空手道選手権大会 (南アフリカ・サンシティー)
1997年 (H 9) 第3回アジア空手道選手権大会 (マカオ)
1998年 (H10) 第14回世界空手道選手権大会 (ブラジル・リオ・デジャネイロ)。第13回アジア大会空手道競技会 (タイ・バンコク)
1999年 (H11) 第4回アジア空手道選手権大会 (シンガポール)。IOC空手道をオリンピック競技として正式承認
2000年 (H12) 第15回世界空手道選手権大会 (ドイツ・ミュンヘン)。男子個人組手金メダルなし。
2001年 (H13) 9月 日本スポーツマスターズに正式参加(武道種目では唯一)
2002年 第14回アジア大会空手道競技会(韓国・釜山開催)
2002年 (H14) 第16回世界空手道選手権大会 (スペイン・マドリッド)。片田貴士選手、個人形、初出場初優勝。長谷川3兄弟、団体形6連覇達成
2004年 (H16) 第17回世界空手道選手権大会 (メキシコ・モンテレー)。若井敦子選手、個人形4連覇達成(ギネス認定記録)
2006年 (H18) 第18回世界空手道選手権大会 (フィンランド・タンペレ)
2008年 (H20) 第19回世界空手道選手権大会 (東京)
2010年 (H22) 第20回世界空手道選手権大会 (セルビア共和国・ベオグラード)
2012年(H24) 第21回世界空手選手権大会(フランス・パリ)宇佐美初優勝
2013年5月:IOC理事会で、2020オリンピック実施競技から落選
2013年9月:IOC総会で、2020五輪開催地が東京に決定。新会長にバッハ氏。12月に、「五輪アジェンダ2020」の作成を発表
2014年(H26) 空手道推進議員連盟設立
2014年7月:JKF笹川会長がIOC本部でバッハ会長に面会。12月に「五輪アジェンダ2020」を発表
2014年(H26) 第22回世界空手選手権大会(ドイツ・ブレーメン)
2015年8月:東京オリンピック組織委員会がWKFをヒアリング。9月、大会組織委員会が空手を含む5競技を追加でIOCに提案
2016年8月:IOC総会で空手(5競技)の追加競技実施が決定
2016年(H28) 第23回世界空手選手権大会(オーストリア・リンツ)清水希容2連覇
2018年(H30) 第24回世界空手選手権大会(スペイン・マドリッド)喜友名諒3連覇
2020年:東京オリンピック1年延期
2021年8月5・6・7日:東京オリンピック空手競技(日本武道館)
2021年(R3) 第25回世界空手選手権大会(アラブ首長国連邦・ドバイ)
2022年(R4)第1回全日本体重別空手道選手権大会(東京武道館)
2023年(R5) 10月 特別国民体育大会 ”燃ゆる感動かごしま国体”
2023年(R5) 第26回世界空手選手権大会(ハンガリー・ブダベスト)
2023年 第19回アジア競技大会(中国・杭州)
1933年 大日本武徳会より、空手が武道として承認される。
1936年 大日本学生空手道連盟結成
1950年 日本学生空手道連盟結成
1957年(S32)11月 日本学生空手同連盟を全日本学生空手道連盟と改名し、第1回全日本学生空手道選手権大会を開催
1964年(S39)10月 全日本空手道連盟結成(会長…大浜信泉)
1965年 第1回日米親善試合(ロス・アンジェルス)
1965年 EKU(ヨーロッパ空手道連盟)結成(会長…デルクール)仏・英が先駆
1969年 (S44)10月 文部省より全国唯一の空手道統括団体として財団法人の認可を受ける。 (会長…笹川良一)
1968年 メキシコオリンピック時模範演武・試合
1969年 (S44)10月 第1回全日本空手道選手権大会開催(第1回審判講習会・技術講習会)
1970年 10月 世界空手道連盟(WUKO)結成、第1回世界空手道選手権大会開催(日本武道館)
1972年 日本体育協会に加盟承認 。 武道祭開催。第2回世界空手道選手権大会(仏・クーベルタン) (日・米・加・トリ…ボイコット WUKOとIAKFに分裂)
1973年 体育理論・救急法を取り入れる
1973年 第1回アジア太平洋空手道選手権大会開催
1974年 大塚博紀、山口剛玄、玉得博康、小幡功らに推薦8段(19名)
1975年 (S50) 第3回世界空手道選手権大会(米・ロングビーチ)
1977年 第4回世界空手道選手権大会(東京)形試合採用
1979年 第5回世界空手道選手権大会(スペイン・マドリッド)女子形採用
1979年 (S54) 日体協C級コーチに参加。ソ連大使館にて演武。政府要請によりソ連に遠征。
1979年 (S54) 宮崎国体に空手道競技がデモンストレーションで参加
1981年 (S56) 第6回世界空手道選手権大会 。第1回ワールドゲームス(米・サンタクララ)。第36回国民体育大会(滋賀・びわ湖国体)に正式種目となる 。
1982年 (S57) 第6回アジア太平洋空手道選手権大会開催(女子組手)(台北市)
1983年 WUKOとIAKF代表者会議
1984年 ワールドカップ(ハンガリー・プダペスト)(WUKOとIAKFの混合ルール)。海外指導者バンク
1985年 (S60) WUKOがIOCの公認団体として承認される。
1990年 (H 2) 第10回世界空手道選手権大会(メキシコ)
1992年 (H 4) 第11回世界空手道選手権大会(スペイン・グラナダ)(WKF)
1992年 第20回全日本空手道選手権大会(形試合復活)
1993年 (H 5) WUKOはIOCの世界空手道統合に関する提案に従い名称を世界空手道連盟(WKF)と変更する。
1993年 (H 5) 第1回アジア空手道選手権大会 (台北市)(AUKO)
1994年 (H 6) 第12回世界空手道選手権大会 (マレーシア・コタキナバル)
1994年 第12回アジア大会(空手道競技会:広島・安芸市)に正式種目参加
1995年 (H 7) 第2回アジア空手道選手権大会 (フィリピン・マニラ)
1996年 (H 8) 第13回世界空手道選手権大会 (南アフリカ・サンシティー)
1997年 (H 9) 第3回アジア空手道選手権大会 (マカオ)
1998年 (H10) 第14回世界空手道選手権大会 (ブラジル・リオ・デジャネイロ)。第13回アジア大会空手道競技会 (タイ・バンコク)
1999年 (H11) 第4回アジア空手道選手権大会 (シンガポール)。IOC空手道をオリンピック競技として正式承認
2000年 (H12) 第15回世界空手道選手権大会 (ドイツ・ミュンヘン)。男子個人組手金メダルなし。
2001年 (H13) 9月 日本スポーツマスターズに正式参加(武道種目では唯一)
2002年 第14回アジア大会空手道競技会(韓国・釜山開催)
2002年 (H14) 第16回世界空手道選手権大会 (スペイン・マドリッド)。片田貴士選手、個人形、初出場初優勝。長谷川3兄弟、団体形6連覇達成
2004年 (H16) 第17回世界空手道選手権大会 (メキシコ・モンテレー)。若井敦子選手、個人形4連覇達成(ギネス認定記録)
2006年 (H18) 第18回世界空手道選手権大会 (フィンランド・タンペレ)
2008年 (H20) 第19回世界空手道選手権大会 (東京)
2010年 (H22) 第20回世界空手道選手権大会 (セルビア共和国・ベオグラード)
2012年(H24) 第21回世界空手選手権大会(フランス・パリ)宇佐美初優勝
2013年5月:IOC理事会で、2020オリンピック実施競技から落選
2013年9月:IOC総会で、2020五輪開催地が東京に決定。新会長にバッハ氏。12月に、「五輪アジェンダ2020」の作成を発表
2014年(H26) 空手道推進議員連盟設立
2014年7月:JKF笹川会長がIOC本部でバッハ会長に面会。12月に「五輪アジェンダ2020」を発表
2014年(H26) 第22回世界空手選手権大会(ドイツ・ブレーメン)
2015年8月:東京オリンピック組織委員会がWKFをヒアリング。9月、大会組織委員会が空手を含む5競技を追加でIOCに提案
2016年8月:IOC総会で空手(5競技)の追加競技実施が決定
2016年(H28) 第23回世界空手選手権大会(オーストリア・リンツ)清水希容2連覇
2018年(H30) 第24回世界空手選手権大会(スペイン・マドリッド)喜友名諒3連覇
2020年:東京オリンピック1年延期
2021年8月5・6・7日:東京オリンピック空手競技(日本武道館)
2021年(R3) 第25回世界空手選手権大会(アラブ首長国連邦・ドバイ)
2022年(R4)第1回全日本体重別空手道選手権大会(東京武道館)
2023年(R5) 10月 特別国民体育大会 ”燃ゆる感動かごしま国体”
2023年(R5) 第26回世界空手選手権大会(ハンガリー・ブダベスト)
2023年 第19回アジア競技大会(中国・杭州)